こんにちは!おひとり男子です。
今日は、【江戸とエロ】昔の日本人に隠されたエロシックコードを紐解く【世界最強】という事でお話したいと思います。
江戸時代と言えば今から200年前頃に栄えた日本の時代で、正確には西暦1603年~1867年と264年続いたとされています。
もし仮に先祖代々続いている家系であるならば、おじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんは江戸人であった可能性は高く、それほど遠い存在ではないことが分かると思います。
そこで今回はちょっと昔の日本人の江戸人について、エロを絡めて秘密のコードを解説していきたいと思います。
江戸人はエロ人なのかもしれない
江戸(エロ)時代とは
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%99%82%E4%BB%A3
江戸時代は今から約420年前に開かれた時代です。
そこから良きも悪きも264年続き比較的安定した時代が続きました。
江戸時代の大きな特徴としては世の安定から生まれた文化です。
いつ死ぬか分からない不安定な世の中だと、生きていくのが必死で様々な文化が発展していかないんですね。
身体がめっちゃしんどい時に、こだわってオナニーしょ!ってならへんのと同じやな
平安時代にも長く安定した時期はあったのですが、平安時代は貴族の文化と言われ我々一般庶民の手ににはなかなか届かない所で栄えたという違いがあります。
清少納言とか紫式部やなぁ
とりわけ江戸(エロ)時代は町民の中でエロい文化が発展して、みんなが活き活きとした時代でもあったんですね。
しんどい時もあったと思うけど神社仏閣へ祈りに行ったり、セックスしながら乗り越えてきたんやな
江戸(エロ)時代といえば春画
春画(しゅんが)とは、特に江戸時代に流行した性風俗(特に異性間・同性間の性交場面)を描いた絵画。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%A5%E7%94%BB
タコに巻き付かれた女性を描いた作品なんかもありますね。
春画の起源は詳しく分かっていませんが、中国から伝わった房中術(セックスの指南書)からヒントを得て始まったとも言われています。
房中術
男女の交合によって不老長生を得ようとする養生術。本来,男女の気を交えることで体内の陰陽の気の調和を図り,あわせて精気の消耗を防いで健康を保持し長寿を得ようとする古代保健医学の一分野で,主として性交の際の禁忌や技法を説く。その起源は古く,前漢の《漢書》芸文志には,すでに房中八家の書が記載されており,また,近年湖南省長沙の馬王堆漢墓から出土した帛書(はくしよ)《養生方》には後世の房中術書の原型的記事が見られる。
https://kotobank.jp/word/%E6%88%BF%E4%B8%AD%E8%A1%93-132297#:~:text=%E3%81%BC%E3%81%86%E3%81%A1%E3%82%85%E3%81%86%E3%81%98%E3%82%85%E3%81%A4%E3%80%90%E6%88%BF,%E7%A6%81%E5%BF%8C%E3%82%84%E6%8A%80%E6%B3%95%E3%82%92%E8%AA%AC%E3%81%8F%E3%80%82
春画の使い方は人それぞれでオナニーに使う人もいれば、勝絵と言って武士のお守りにされることもありました。
そんな春画は現在の卑猥な感じで捉えられていた訳ではなく、縁起物であったり、男子も女子も楽しめる性教育の一部でもありました。
性に対してオープンであった江戸(エロ)時代を象徴するのが春画だと言えます。
江戸(エロ)時代のエッチなエピソード
江戸時代は今では考えられないエロいことが日常的に行われていました。
今回ご紹介するのは以下の3つ↓
- エピソード1・・・混浴風呂
- エピソード2・・・青かん
- エピソード3・・・浮気は死罪
混浴風呂
江戸時代は家にお風呂が無かったので町民のみなさんはお風呂屋さんに通っていました。
特に江戸に住む町民はお風呂が大好きだったので1日に数回お風呂に通っていたとも言われます。
垢ぬけるっていう言葉は江戸(エロ)時代に出来た言葉みたいやなぁ
そんな大人気のお風呂屋さんは湯屋と言われ、鎖国以前は当然のごとく混浴風呂でした。
日本人の貞操概念どうなってんねん
米国からやってきたペリーはそんな日本人の姿を見てこう語っているとかいないとか。
そんな海外の貞操を知った日本人は段々と湯屋を男女で分けるようになります。
ですが、そこは江戸(エロ)人。
幕府から混浴を禁止されても混浴文化は密かに続き、湯屋は大繁盛だったんですね。
というのも、江戸幕府は吉原遊郭以外の風俗は認めていなかったんですが、湯屋では軽めの性風俗をしていたことが分かっています。
日本人が温泉好きな理由はなんとなく分かるわ(笑)
軽めの性風俗とは女性が男性の背中を流したり、ちょっとした性的サービスですね。
サービスの詳細は分かりませんが、湯屋代の他にサービス料を支払うとそんなサービスが受けられたようです。
今でも銭湯行くと垢すりマダムが普通に入ってきてビビることあるけどなぁ
青かん
江戸時代は今みたいな戸建ての家やマンションはなく、家と家が壁一枚で隔たれた長屋でした。
もちろんですが、その壁も今みたいな防音レベルの高い壁ではないので、セックスをすれば声が周りに筒抜けだった訳です。
そんなハッスルする声を聴いて欲情して連鎖的にセックスが始まることがあったとかなかったとか。
とはいえ、身体一つあればどこでもセックスはできるので、江戸(エロ)人は家以外の場所でもハッスルしまくっていたんですね。
神社やお寺の物陰をはじめ、草むら、森の中などひと気のない場所で愛を育んでいたようです。
お祭りや盆踊りは乱交の場として最適の場所でした。↓
地方では子どもを村全体で世話をして育てるという文化もあり、みんな積極的に中だしをしていたのではないかと想像がつきます。
浮気は死罪
江戸時代は基本的に武士が法律を作っていた為、とんでもない法律が多数存在していました。
その一つが浮気は死罪というもの。
江戸時代の浮気は不義密通(ふぎみっつう)と呼ばれ、不倫をすると死罪か不倫した妻を殺しても構わないという法律でした。
しかし、これも武士が作った法律であり町民には罪が重すぎるため、今でいうところの慰謝料などでお互い示談で済ましていたこともあったようです。
とはいえ、江戸(エロ)人にとって不倫は命がけの行為だったことには間違いありません。
都会と地方では違ったみたいやなぁ
徳川家NO.1絶倫
徳川 家斉(とくがわ いえなり)は、江戸幕府の第11代征夷大将軍(在任:1787年 – 1837年)。8代将軍吉宗の曾孫。10代将軍家治は養父かつ従伯父(実父のいとこ)にあたる。
徳川家斉は徳川将軍の中で最も絶倫だったと言われている将軍です。
正室と側室は合わせて17人以上。
家斉将軍の子どもは53人以上。
世継ぎ・昼夜関係なく勤しむだけ勤しんだ絶倫将軍です。
当時貴重だったオットセイのペニスを精力剤として摂取していたことも有名な話ですね。
ホンマに好きやったんやろなぁ
江戸(エロ)時代の平均出産数
こちらの記事によると江戸時代の女性が子どもを出産する人数は平均4~5人となっています。
江戸時代は現代の様に医療の技術が発達しておらず、出産と同時に亡くなる赤ちゃんも多かったみたいですね。
現代と比べて明らかにセックスの回数は多かったのではないかと想像しています。
個人的な妄想やけど、3回戦1セットくらいでセックスしてたんちゃうかなぁって思ってるで
間髪入れずに(笑)
今の日本人のセックスの回数は先進国の中でもかなり下の方になってしまっています。↓
家斉将軍までになる必要はありませんが、セックスをする回数は江戸(エロ)時代に倣う必要がありそうです。
江戸(エロ)時代のエロシックコード
いくつか江戸(エロ)時代についてお話してきましたが、ここで江戸(エロ)時代のエロシックコードを紐解いていきたいと思います。
まず、江戸(エロ)人の身体はとても元気だったということが第一に考えられます。
食べ物は今ほど豊かな食材がなかったものの、米や野菜などをしっかり食べて、毎日精力的に身体を使って動いていたので根が元気だったと思うんですね。
また、体温は平均37.0度を超えている人がほとんどで免疫力もかなり高かったのではないかと想像がつきます。
超個人的なイメージですが、江戸(エロ)人は町民全員がアスリートくらいの身体能力の持ち主で、病気知らずの健康体の持ち主で、毎日のようにセックスをして、生活の制約はあるものの文化的に人生を楽しもうとする姿勢が浮き出ている粋な時代であったと考察しています。
ただ単に子孫を残す為だけにセックスをしていたのであれば江戸四十八手も生まれなかったと思うんですね。
四十八手(しじゅうはって)は、性行為における性交体位の種別を表したものである。江戸四十八手(えどしじゅうはって)とも呼ばれる[1]。この言葉は日本の江戸時代において名付けられたとみられる。表裏合わせて九十六手(きゅうじゅうろくて)ともいわれる。近年では、”百手”ともいわれる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%8D%81%E5%85%AB%E6%89%8B_(%E3%82%A2%E3%83%80%E3%83%AB%E3%83%88%E7%94%A8%E8%AA%9E)
しかも、身体能力が高くないと色んな体位を試そうとか快を追求しようとはならなかったはずです。
ここまでセックスを追求し文化的に捉えているのは日本人くらいだったのではないかと推測しています。
人民の発明力をもっと自由に発達させるならば、日本人は最も成功している工業国民にいつまでも劣ってはいないことだろう。
快を求める感覚や身体感覚は世界的に見ても群を抜いていたと思うし、絵画(浮世絵)など世界的な芸術家に影響を与えたのも江戸(エロ)人です。
町民から生まれたエロ文化は『粋』という言葉がピッタリ当てはまりますね。
完璧を求めたカッコよさや美しさじゃなくて、分別がありながら遊び心を忘れていない絶妙に面白いのが江戸(エロ)人ってことやな。
最後に
僕はタイムスリップして江戸時代を見てきた訳ではないので色々調べて推測しながら書いてみました。
元々江戸とエロが好きで色々見に行ったり調べたりしてたんですけどね。
時に本当かウソか分からない伝説的な話も聞こえてきますが、ほぼ実話だと勝手に解釈しています。(笑)
↓こちら去年歌川国芳の作品(浮世絵)を見に行った時の一枚です。
色々狂気することがあって人から血が出まくってめちゃくちゃにしている絵なんですが、僕が注目したのは左脚の向きです。
現代人なら膝とつま先が前に向くはずなんですが、この絵は両方とも逆を向いているんですよね。
本当かどうか分かりませんが、江戸(エロ)人は我々の想像がつかない身体の使い方をしていたのかもしれません。
こういった一つのエピソードを見るだけでも江戸(エロ)人と人間の身体の深さを感じざる負えません。
間違えて描いたか、めっちゃ脚の角度を盛って描いた可能性もあるけどなぁ(笑)
どっちにしても現代人では想像つかない次元で身体を使ってたのは確かやな。
江戸(エロ)人の血を引く我々としては少し昔を思い出して、もっとエロく生きてもいいんじゃないかと考えた次第です。
日本人は生粋のエロ好きなんじゃないかな?笑
ではまた!
see you!
コメント