こんにちは!おひとり男子です。
今日は、【エロの時代】昭和後期から平成初期にかけてのエッチな事象まとめ【なうい】ということでお話したいと思います。
みなさんはどんな時代を生き抜いてきているでしょうか?
大体の方が昭和後期から平成後期かなと思います。
その時代時代によってエロの形や文化は少しづつ変わり、進化を遂げ、人生の生きる糧になっていることは否定できません。
そこで今回は以下の方に向けて記事を書きました。
- 昭和後期から平成初期のエロについて知りたい方
- 青春期のエロを思い出したい方
- エロいことが好きでずっとエロいことを続けていきたい方
生きる時代が変わればエロの形も変わっていきます。
今回の記事はおひとり男子が生きてきた時代(昭和後期から平成初期)のエロいことを思い出しながら書いていきますので興味のある方はお読みになってください。

生まれる前からエロいことが好きだったおひとり男子が解説するで~
昭和後期から平成初期にあったエロいこと13選

昭和後期から平成初期にあったエロいことは以下の13個です。
- 民放テレビでおっぱいが見れた
- エロビデオ関連
- エロ電話関連
- エロ出会い関連
- エロ映画館関連
- エロい自動販売機関連
- 有名アイドル関連
- 際どいCM関連
- 夜の街文化
- バブル期のエロ
- 当時の恋愛観
- 援助交際
- 河川敷と山
順番に一つづつ解説していきますね。
民放テレビでおっぱいが見れた
昔のテレビは今ほど規制が厳しくなく、普通におっぱいがぽろりんちょしていました。
有名なのは夜8時というゴールデンタイムにたまにやっていた水着の騎馬戦ですね。
水着を着た女性たちがプールで騎馬戦を組み帽子を取り合うという今じゃ考えられないことを普通にお茶の間で家族で見ていました。
時におっぱいがぽろりする場面もあり何とも言えない気分で見ていた記憶があります。
後は志村けんのバカ殿様ですね。
このバカ殿様では絶対におっぱいが出てくるという保証はなく、エロいコントで終わってしまうこともありました。

でもバカ殿はおっぱい結構出てた記憶あるなぁ
お昼の時間にお色気が見れたものと言えばビートたけし氏が司会のスーパージョッキーですね。
熱湯コマーシャルという企画はお昼に生放送で生着替えというかなり攻めたものでした。
もちろん深夜帯はエロ全開です。
おひとり男子が見ていたのはトゥナイト2・ギルガメッシュないと・のりノリ天国の3つで確実におっぱいが出てくるので確実に見ていました。
パンツでいうと、おネプという番組でネプチューンの原田氏が女性を巴投げを行う番組がありました。
当然ながらパンチラは必須であり、たくさんパンツが見れた希有な番組でした。
ただ、番組には↓こういった意見も寄せられており、
番組担当者によれば、この番組はネプチューンという3人のタレントのキャラクターを生かしたエンターテインメントであり、祈願成就を希望する団体のところへ出張して願いを聞き、女性を巴投げして幸せを授けるというナンセンスな設定になっている。会場の若い観客が参加して一緒にお祭り騒ぎをする番組で、回を重ねるごとに人気が出て、ついハメをはずすという現状もあり、お色気と下品、笑いと悪影響の微妙な線について迷いがあるという。
委員会は番組視聴の結果、カメラアングルに注目し、投げられる女性の下着がもっとも映りやすい位置からのショットが多用されていることなどから、番組が女性のスカートの中が見え隠れするのを売り物にしていると判断した。こうしたシーンを繰り返し放送することは、「のぞき」を肯定するというメッセージを伝えていることになる。また、投げるのは男性、投げられるのは女性という男女の役割がおおよそ固定されているうえに、女性の肉体への関心を引くような会話が多いことから、女性に対する差別的固定観念を植え付けるという問題点があると考える。
「ネプ投げ」は、映される当事者の同意を前提にしているが、公共性の強いテレビでは、「当事者の同意さえあれば何をしてもよい」ということにはならない。
民放連が定めた「青少年に特に配慮する時間帯」から外れた、夜間11時過ぎに放送される番組ではあるが、番組制作者も認めているように、最近は生活習慣の変化により11時台でも小中学生がテレビを見ており、まして子どもに人気のあるネプチューンによる番組となると一層の配慮が必要である。
https://www.bpo.gr.jp/?p=5111
時代の流れもあり打ち切りとなってしまいました。

テレビでおっぱいとパンツが見れた時代もあったんよ。
エロビデオ関連
昭和後期はエロビデオ全盛期であり、男性陣はみんなビデオレンタル屋さんにいってエッチなビデオを借りて見ていました。

もちろん買う人もいっぱいおったで。
当時おひとり男子は中学生でしたのでエッチなビデオは借りれませんでしたが、年上の兄や親せきがいる友達や何故かエッチなビデオをたくさん持っている友達がちょこちょこいたので借りて見ることが出来ていました。
中には伝家の宝刀と言われる裏ビデオというものが密かに流行っていてそのビデオを持っている男子は英雄になれていました。

どこで手に入れたのかは全くの謎やな。
エロ電話関連
当時はテレクラという文化が流行っていました。

テレフォンクラブとは、電話を介して女性との会話を斡旋する店である。通称はテレクラ。基本的には個室で女性から店に電話がかかってくるのを待ち、その女性との会話を楽しむもの[1]。個室にはティッシュペーパーなどが配置されており[1]、テレフォンセックスが行われる場合もある[2]。女性との交渉次第では、機会を改め店の外でデートや性行為を行うことなども可能である[1]。
1985年の風俗営業法改正後に注目され、流行した業態。日本で最初に登場した店は1985年に小林伴実により開業された新宿「アトリエキーホール」、もしくは同年秋に同じ新宿に開業した「東京12チャンネル」と諸説ある。別冊宝島には1986年のサブカル・流行の1つとしてテレフォンクラブが紹介されている[3]。
テレフォンクラブは売春の温床ともなっていた[4]。現在はパソコンやインターネットの一般化に伴い、出会い系サイトが普及したために、テレフォンクラブは衰退している。
ぶっちゃけていうとおひとり男子はテレクラは使ったこともなくて全然詳しくありません。
テレクラのシステムはこんな感じ↓
- 男性は店に行って時間ごとの料金を払い、狭い個室の中で電話がかかってくるのを待つ。
- 女性は自宅や公衆電話、携帯電話等から店に電話をかける。女性用ダイヤルは普通フリーダイヤルとなっている。一般女性がテレクラの番号を知るのは、雑誌広告や街頭で配布されるティッシュ、道路・鉄道の駅付近の看板などである。
- 男性は利用時間の途中で約束した女性と会うために外出できる。その日のうちならば再入店し、残り時間[5]も引き続き利用できる店舗が多い[6]。
店によって、店員が順番に客に女性からの電話を回すシステムと、早く受話器を上げた客が電話をとることが出来るシステムの大きく二つに分けられる[1]。なお、東京都など一部の自治体では条例により「早取り」形式は禁止されている。
解説を読んでもどういう仕組みなのか全く分かりませんでした笑
今はオナ電が主流なので便利な時代になりましたね。
エロ出会い関連
テレクラとも少し被るところはあるかもしれませんが、昔は男女の出会いに関してもかなり出会いやすかったです。
おひとり男子が中学生の時にちょうどガラケー(携帯電話)やピッチ(PHS)が出てきてスタービーチという神のサイトが登場し始めました。
利用料金は完全無料[1]。携帯電話、またはPHSからSTAR-BEACHのサイトにアクセスすれば誰でも投稿や、投稿へメールを送信することができた。NGワードが設定されていたため、投稿文に使う単語によって投稿が反映されない場合や、運営者によって削除されることがあった。
1日1,200万アクセス[1]、月間4.5億アクセスがあった。
サイトにはメル友募集のコーナーの他に「ゲームな掲示板」、「級友検索同窓会」、「着メロ交換♪」、「待受・ムービー交換」、「ジャニーズ掲示板」のコーナーがあった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%81

1日1200万アクセスはバケモンやから笑
しかも利用料は完全無料であり、携帯電話があれば誰でもサイトにアクセスすることが可能でした。
だからというか、男子中学生でも20代や30代の女性と会うこともできましたし、逆のこともしばしばありました。

今考えると無法地帯みたいなもんやな笑
エロ映画館関連
エッチな映画館は今でも残っていると思いますが、昭和後期はエッチな映画館が結構流行っていました。
もちろんおひとり男子は利用したことがないので体験として語ることはできませんが、エッチな映画館に出入りを繰り返していた女性とは何度かお話したことがあるので内容はお話することができます。
まずエッチな映画館は何とも言えない匂いがするそうです笑
基本的には男性が何人か居て自慰行為に勤しんでいるようです。
中には男性同士でまぐ合っていることもあれば時々いる女性とまぐ合うこともあるみたいですね。
おひとり男子がお話を聞いた女性は当時大学生でエッチなことに興味がありエッチな映画館を利用していたようです。
今考えるとかなり危険なことをしていたと振り返っているようですが、当時は何人もの男性に取り囲まれることが快感のように感じて止めれなかったと話します。

行ってみたい気持ちはあるけどやっぱりちょっと怖いよなぁ笑
エロい自動販売機関連
当時はエロい自動販売機が所々にありました。
基本的には人の目に触れにくい場所や山奥やラブホテルの近くにもありましたね。
あと薬局やタバコ屋さんの近くにはコンドーム(避妊具)の自動販売機もありました。

実際に買ってる人は1回も見たことないなぁ
有名アイドル関連
当時は有名なアイドルや有名人がグラビアや写真集を出していました。
ヌードとかヘアヌードのような言葉が流行っていた記憶があります。
有名なのが、宮沢えり氏の『Santa Fe』(サンタフェ)です。↓
『Santa Fe』(サンタフェ)は、1991年(平成3年)11月13日に朝日出版社から発売された宮沢りえのヌード写真集。撮影は篠山紀信。発売当時の宮沢は18歳であり、18歳になったから撮影を持ち掛けたと篠山はのちに語っているが[1][2][注釈 1]、撮影時点では17歳であったとも報じられた[4][5][6]。宮沢が当時人気絶頂だったこともあって155万部のベストセラーとなり[7](出版科学研究所調べ、2003年6月までの集計で165万部[8])、写真集の世界記録を達成した[9][3]。これは日本における芸能人写真集の売上部数としても未だに破られていない(2003年6月までの集計で[8])。
https://ja.wikipedia.org/wiki/Santa_Fe
個人的にはビビアンスー氏や菅野美穂氏が驚きでした。
際どいCM関連
いくつかご紹介しますね。
温泉系や美容系はかなり攻めているものが多かった印象です。
ラウンジやキャバレーなどもテレビCMで出していたのも驚きでしたね。
夜の街文化
おひとり男子はそれほど多くのエッチなお店に行ったことがないので知る限りのことをお話します。
まず20代の時に月1で連れて行ってもらったセクキャバ(セクシーキャバクラ)です。
セクキャバをシンプルに解説するとお触りOKのキャバクラです。
一つ印象的なお店があって、スカートの中に潜り込めるイベントが必ずあったのは強烈に覚えています。
ホテヘルやデリヘルは一時期20代の時に結構な頻度で利用させてもらっていました。

今は全くいかへんようになったから分からへんなぁ
バブル期のエロ
正直にいうとおひとり男子はバブル期にはまだこの世に誕生してなかったので何も分かりません。
こういった時はAIに聞くのが早いということでオープンAIの力を借りようと思います。
1980年代後半〜91年前後のバブル期は、性に関する表現や遊び方が一気に派手で「オープン」になった時代だとよく言われます。
ざっくり全体像
- バブル景気でお金も時間も余裕があり、「楽しんだ者勝ち」という空気の中で夜遊びや恋愛、性も含めた享楽が加速しました。
- メディア(テレビ、雑誌、広告)が大胆な露出や挑発的なキャッチコピーを多用し、それが「イケてる大人」のイメージと結びついていました。
メディアと「エロい」見せ方
- 海外ポップカルチャー、特にマドンナ的な「性的自己表現」が輸入され、女性の大胆なファッションやポーズが雑誌グラビアやCMで前面に出ました。
- テレビはスポンサー資金が潤沢で、深夜番組やバラエティでギリギリの下ネタや露出系企画が通りやすかったと言われます。
クラブ・ディスコ文化
- 大箱ディスコやクラブで、ミニスカやボディコンなど体のラインを強調したファッションで踊るスタイルがブームになりました。
- こうした場では、性的な雰囲気も含めて「はじける」「解放される」こと自体が価値とされ、夜遊び文化と結びついた性のイメージが語られることが多いです。
成人向け産業・コンテンツ
- バブル期の好景気を背景に、成人向けビデオやヌード雑誌の市場が拡大し、「美少女」「アイドル的イメージ」を売りにした作品が量産されました。
- 出版社やメーカーの中には、この時期の需要を取り込むことで、日本の「エロ文化」を代表するブランドになったところもあります。
裏側とその後
おひとり男子の個人的な印象ですがバブル期のエロというのは派手でオープンであり、令和のような陰湿な感じではなかったと感じています。
エロに関していうとカッコいいとかイケてるとか一つの表現としての立ち位置なような気がしますね。
ただそこも時代の流れとして規制が厳しくなり、どんどん隠さないといけなくなったという現実もあります。

今の50代60代の遊んでた男性の話を聞くとめちゃくちゃ面白いで~
当時の恋愛観
昭和後期から平成初期にかけての恋愛観についても少し触れておきたいと思います。
平成初期(おおよそ1989〜95年ごろ)の恋愛観は、「恋愛至上主義のピーク」と「昭和的価値観の残り香」が同居していた時代です。
全体像:恋愛=人生のメインイベント
- 多くの人にとって「恋愛して結婚する」のが人生の標準コースで、結婚は“して当たり前”という空気が強かった時期です。
- 結婚の多くは恋愛結婚で、1990年の時点で結婚の8割以上が恋愛をきっかけとしたものでした。
恋愛至上主義とバブルの余韻
- 1980年代後半〜1990年代初頭のバブル景気の延長で、都会ではおしゃれなレストランやバー、ドライブなど「演出されたロマンチックなデート」が理想像として広まりました。
- トレンディドラマやファッション誌が恋愛のモデルケースになり、「恋人がいること」「ドラマのような恋愛をすること」が一種のステータスでした。
出会い方と男女役割
- 出会いの場は学校・職場・サークル、友人の紹介、合コンなどで、SNSやマッチングアプリはまだなく、リアルな場の人間関係が中心でした。
- 男性がリードして女性を誘う、奢る、といった性別役割への意識は今より強く、「男らしさ」「女らしさ」のイメージも比較的固定されていました。
結婚観と「普通」の圧力
- 1990年時点の生涯未婚率は男性5〜6%、女性4%台で、ほとんどの人が一度は結婚する「皆婚社会」がまだ続いていました。
- 恋愛は結婚への前提として語られることが多く、「いつ結婚するのか」と周囲から聞かれるのも当たり前という感覚が強かった時代です。
平成初期ならではの価値観の変化の芽
当時の貞操というのはなかなか分かりません。
ただ男女関係については時代の変化と共に大きく変わってきた印象で、男女それぞれがそれぞれの価値観で生きるという方が増えてきたんじゃないかと考えています。

セフレという言葉はいつ生まれたんやろか?
「セックスフレンド」という語は、少なくとも1970年に浪速書房から刊行された小説『セックス・フレンド』のタイトルとして登場しており、この頃には言葉としてはすでに使われていました。 その後、1990年代になると「セックスフレンド」という関係性や言葉が広く浸透し、略した形の「セフレ」も一般的に使われ始めたとされています。
まとめると、
という流れだと考えられます。
1970年代にはセフレという概念はあったようです。

いつの時代も十人十色でそれぞれの生き方があるんやなぁ
援助交際
最近ではパパ活などと言われていますが、当時は援助交際と言われていました。
援助交際(えんじょこうさい、略して「援交」)とは、主に女性が金銭や物品(金品)を対価として、男性とデート、性的サービス、性行為を行う交際形態のことです。
主な特徴とリスクは以下の通りです。
1. 援助交際の定義と実態
- 本質は「売買春」: 経済的支援(金銭)を名目としていますが、性的行為を伴うものがほとんどであり、実質的に売春・買春行為とみなされます。
- パパ活との違い: 「パパ活」と呼ばれることが増えましたが、パパ活は金銭を目的としつつも食事やデートだけ(セックスなし)のケースが含まれるのに対し、援助交際は「性的サービス」が目的となっている点が大きく異なります。
- 対象者: 主に女子中高生や若い女性が成人男性を相手に行うケースが社会現象となった経緯があります。
2. 法律上のリスクと犯罪性
援助交際は、相手の年齢や行為の内容によって犯罪となります。
- 児童買春(18歳未満が相手の場合):
- 相手が18歳未満の場合、児童買春・児童ポルノ禁止法違反に該当します。
- 金銭を渡して性行為や類似行為、わいせつ行為をした場合、相手が同意していても処罰対象です。
- 青少年保護育成条例違反:
- 18歳未満に対し、金銭を渡してわいせつな行為や行為をさせようとした場合に適用されます。
- 売春防止法(18歳以上が相手の場合):
- 不特定の相手と対価を受け取って性行為をする場合、売春防止法違反にあたります。
3. 具体的なリスク
- 逮捕: 警察の摘発対象であり、逮捕されると懲役や罰金などの重い刑罰が科されます。
- 性感染症・妊娠: 未知の相手との行為により、感染症や妊娠などの健康被害リスクが高いです。
- 犯罪トラブル: 暴力、脅迫、撮影データの拡散など、警察に相談しにくい状況に追い込まれるリスクがあります。
近年では、SNSやマッチングアプリを利用したケースが主になっていますが、犯罪行為として摘発の対象となります。
正直当時の規制は今ほど厳しくなく、こういった社会問題になるまで割と緩く許容されていた印象です。
江戸時代後期から明治時代にかけて妾(めかけ)の文化もあり、お金持ちの人は当然のように愛人がいたり、養ったりしていたんですね。
今でもその名残はあります。

男女が一緒に暮らす地球では一生なくならへん問題やと思うなぁ
河川敷と山
最後は当時のエロの宝庫であった河川敷と山に触れたいと思います。
当時の河川敷と山にはほぼ100%エロ本が落ちていました。
ただ落ちてあるからといって拾ったり見たりするのはかなりの勇気と覚悟がいる作業でした。
まず、周りに誰もいないことを確認します。
そしてすぐに隠せるような袋を用意して一瞬で拾います。
そして秘密基地に持っていき集まったみんなでゆっくり鑑賞します。
当時はスマホはなく現代のように多種多様の女性のおっぱいにアクセスすることはかなり難しく、エロ本1冊をとても大事にして教養としてエロを学んでいました。
今考えるとかなり真面目にエロを学んでいたという自負はあります。

見たことないものを見れる瞬間は感動的やったなぁ
最後に
昭和後期から平成初期にかけてのエッチな事象についてまとめてみました。
同じ時代を生きてきた方もいればそうではない方もおられると思いますが、いつの時代もエロいことがあって本当に良かったですね。
もしこの世にエロがなければとっくに人類は滅んでいると思いますので。
おそらくこの先エロの形はう少しづつ変わっていくと思いますが、おひとり男子はこれからもエロいことを追求して生きていきたいと思います。
ではまた!


